いつかの日記
ずいぶん久しぶりの投稿となりますが、久々に文章を残してみたくなりました。
2017年の春に日本に帰国してから、もう3年以上が経ちました。
ロンドンに居たのが、1年8ヵ月だったので、帰国後、とっくに、それ以上の長い月日が経ったことになります。
早かったような、長かったような、不思議な時の流れだったこの三年間でした。
思い返すと、様々な出来事や変化がありました。
一番大きかったのは、やはり父親の病気が判明したこと。
そこから、私にとっての日々は大きく変わった。
たった一人の人間が病気になっただけで、見える世界がまったく違っていった。
「大切な人」こそが、何よりもどんなものよりも大切で、その人によって自分の人生が出来てるんだと思い知らされた。
それから半年くらい、父親と、家族と一緒の濃い時間を過ごせたことは何よりの救いだった。
でも、この先どうなるのか、いつまで続くのか、いつ終わってしまうのか、希望はほとんど無く、不安でしかなかった時を越え、最後は思いもよらぬほどあっという間にその時を迎えてしまった。
ありがとうもさようならも言葉にして伝える事が出来なかったけど、それでも、父にはきっと伝わってると思えた。
父が死んでしまってからの、どうしようもない悲しみや寂しさや喪失感がずっとつきまとって、苦しくてなんにも慰めにならない時期を思い出すと、
今、そんな時期を乗り越えて、ようやく、日々穏やかな心でいられている自分に、こんな日がちゃんと来るなんて思ってもいませんでした。
死を迎える事は、生きるもの全ての宿命で、それを自らが迎える事も、
大切な人の死を見送らなければならない事も、そのたびにこれだけの悲しみを味わわなければならないことも、一生その悲しみを背負いながら生きていかなければならないことも、すべて宿命なんだって思い知らされました。
生まれて初めて、生きることは辛いことだと思いました。
2018年の秋に、一度は諦めた、ポーランドのアウシュビッツ収容所にもようやく行くことが出来ました。
行くまでは、心の中で期待していた。
アウシュビッツに行ったら、何かが変わると。
もう思いっ切り、心の底の、奥底まで悲しんで、
そしたら全ての悲しみから解放されて、すっきりするんじゃないかと。
でも実際に訪れてみたら、自分の捉え方は意外なものだった。
ガイドをしてくださった中谷さんのお陰だったのだけど。
悲しい残酷な出来事でした。ではなく、もちろんそうなんだけど、それを今の世界や世の中で起きている問題や出来事に繋げて、これからどう解決していくべきなのか、これからの事を考える方が重要なんだと、そう考えさせてくれるきっかけとなった。
父の死はそれとはまた違う意味だけど、とにかく今を受け止めて、これからどうするのか、それしか今の自分にはないんだと、不思議な爽快感がわいてきた。
悲しみよりも、これからどうしたらいいんだろうって、やっと、先の事を考えるようになった。
しばらく私は、父と過ごした時間のことや、昔の思い出に浸ったり、過去のことばかり考えていて、先のことを全く考えることが出来ていなかった。
やっと、これからのことを考えられるようになったのが、恐らくアウシュビッツを訪問したのが境だったと思う。