ロンドンで過ごす600日のこと

好きでもない国に来てみて住んでみた600日間のこと。趣味の旅行のこと。

帰国・いちばんの学び

最近改めて思った事は、

自分の気持ちや想いや考えを「言葉」や「文字」として形にして、大切な人や誰かに伝えたり、この先の自分が思い出せるようにしておくことがいかに大切かという事です。

 

文字で残す事は、ぼんやりとした自分の想いをダイレクトに形にして、それと向き合うことだと思います。

時にはこうして文字にすることを避けたくなったり、読む人にどう思われるかな?と恐れてしまうこともあります。あとは、想いを表現するのが恥ずかしいなぁと思うことも。

 

それでもやっぱり、もやもやっとした気持ちや、楽しかったことや、有難かったこと、こんなことやってみたいな〜といった、いろんなことを自分だけのノートに綴ったりすることが私にとっての心の整理方法です。

 

ここ最近で、悲しい、ショックな、やるせない、絶望みたいなものに直面して、自分の想いと向き合うことを避けていました。

現実を受け入れる?受け止める?ことさえも出来ずに、なんにも考えられずただ呆然としてしまう時もあったり、考えすぎて我慢の先で緊張がほどけた瞬間に涙がたくさん落ちてきたりしました。

 

 

でもようやく、今の想いを、この先ずっと忘れたくないな、と思うようになったので綴ってみようと思いました。

とは言っても、今だに人に伝えられるほどに整理は出来ていないんですが。

それにこんな内容をブログに残すというのも気が引けますが、同じように苦しんでいる人や、そうでなくても日々に不安があったり、何かに悩んでいる人と共感したり、励みになったらいいなと思います。そうでない人にも何かが伝わったらうれしいなと思います。

何より一番は、自分の今の想いを絶対に忘れたくないので綴ります。

 

 

 

あと数日でロンドンを出発して自分の国、日本に帰ります。

ロンドンを出たあとに予定していた北欧と東欧への旅行は今回はやめて、早めに日本に帰ることにしました。

 

既に予約していたフライトやホステルを全部キャンセルしてでも帰りたい理由があるので、あんなに楽しみにしていた旅行でしたが、1ミリの後悔もなく、この決断をしました。

 

 帰りたい理由は、父親が病気になったからです。

「病気になった」というか、「病気だということがわかった」からです。

かなり進んでいる状態でそれが見つかったので、最近病気になったわけではありません。

ずっと病気だったのがようやく見つかったのです。

 病気の状態は、かなり悪いです。

 

 

私が幼い頃から、そして大人になった今でも、いつもひょうきんでケラケラ笑っていて、一家の大黒柱!という感じではありませんでした。

しっかりしてよーとか、むかつくことは多々ありました。

でも憎めないのは、誰にも優しくて、友だちがたくさんいて、自分の好きなことを好きなだけ楽しんでいる、人生を楽しんでいる父はとても人間味があるからです。

 

そんな父がこんなに重い病気にかかっていて、言いづらいけれど、死と直面しているなんて、信じられませんでした。

 

 

私の家族は、家族らしくないと、いつも思っていました。

仲が悪くてケンカをするというわけではなく、むしろ個々にそれぞれやりたい事を楽しんでいて、それに対してお互いがそこまで干渉し合わずにいました。

親と子どもという関係というよりは、「個々の人間」として、あまり頼ったりすることもなく私は大人になっていったと思っていました。

 

 

でも、私が日本を離れて、親から離れて自由に過ごしていられたのは、自分自身が自立しているとかそんな事でもなく、全くもって私の力ではなく、その大切な人たちが健康に過ごしていてくれているという、絶対的な安心感があったからだと気がつきました。

 

もしも私がロンドンに来る前に父が病気になっていたら、そんな不安を残してロンドンに来れるはずはない。

 

今までの人生の中で、上手くいかないことや嫌なことで悩まされたり、不安になったりすることはありました。

でも、死を考えたときに、これまでいかに自分が平和に恵まれて過ごしてこれたかを実感したのです。

 

 

死ぬということが、どういう事なのか、考えたり想像する事ができませんでした。

でも、ふとLINEで家族にメッセージを送ったときに気がつきました。

 

死んだらこのメッセージを見てくれる事もないんだ。

死んだらこのメッセージが返ってくる事もないんだ。と。

 

そんな当たり前なことに気がついた瞬間に、嫌だ!と思いました。

 

遠く離れていてもいろんな手段でこうして繋がっていられる時代。

本当の別れの意味を実感するのが、難しくなっていると思います。

 

でも、それを実感した瞬間に、早く帰ろう!と我に帰りました。

 

 

帰っても何も出来ることはないし、早く帰ってどうするの?とか、予約してたのに旅行も行かないの?と言われることもありました。

 

でも、父のために何が出来るか、

だけではなくて、ただ単純に自分が父のそばにいたいと思ったので、

帰らないといけない。ではなくて、帰りたい。と思いました。

 

 

 

 

しばらくしてから、ようやくこの状況を理解することが出来るようになってきて、父の病気の事をたくさん調べました。

インターネットで調べた情報がほとんどなので、その情報が正しいのかどうかも分からないけれど、何か自分にできることがあるんじゃないかと思い、日々ひたすら情報を集めました。

 

すると、同じ病気と闘っている方や、そのご家族のブログにありつきました。

 

 

死と向き合う時間を与えられて良かった。というものでした。

 

 

始めはどういう事かわからなかったけれど、次第に、うんうんと強く頷けるようになっていました。

 

幸い、私たちには残された時間があります。

ポックリ、じゃなくて本当によかった、と思いました。

 

私は、死ぬってことがどういうことなのか、生きるってことがどういうことなのか、家族ってなんなのか、父にとっての生きる楽しみってなんなのか、いろんなことを考えられる時間を与えられました。

 

こたえは簡単には出ませんでした。多分明確なこたえはありません。

でも、人はいろんな愛を与え合うために生きてるんだと思いました。

 

 

私は冷めている方なので、愛だとかなんだと言うのが、気持ち悪いと思っていました。

でも、愛ってそんな重いものじゃなくて、もっと自然なことだと気付きました。

 

お互いが心をオープンにしていることや、思いやることや、感謝することとか、共感してあげることとか、ほめることや、尊敬すること、いろんな些細なこと全部だと思いました。

 

 

 

 残された時間がどれだけあるのか分かりません。

自分の人生だってあとどれだけあるのか分かりません。

でも、いろんな愛であふれた、心の底からじんわりとあたたまるような「あー、しあわせ。」というあの感覚を味わいながら日々を過ごせるように、出来ることは後回しにせずに、言葉や態度でちゃんと示していこうと思います。